琉球古典芸能について

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古典音楽について

琉球王府時代、首里王府を中心に演じられた音楽の総称です。

おもろ、クェーナなどの古謡、ついで三線音楽が中心をなし、箏曲・笛・胡弓・太鼓などが併せ用いられるようになりました。

儀式や中国・薩摩からの来賓をもてなす時に用いられたため、かなり洗練されたものといえるのではないでしょうか。


三線音楽の発生と展開

三線は琉球古典音楽の中心をなしますが、中国から伝来し、改良されて現在の形になったといわれています。

とはいえ、その時期は明確ではありません。

1534年冊封使 陳侃(チンカン)の使録で、「楽用絃歌 音頗哀怨」という記述があり、三線音楽を指すものとみられております。

初めて「三絃」という言葉が現れるのは、1606年冊封使 夏子陽の『使琉球録』において、

「楽器ニ金鼓、三絃等ノ楽アルモ、但々不善ノ作多シ」

という記述があります。

おそらく琉球独特の音階に、馴染みがなかったからでしょう。

江戸時代の江戸上りの際には、沿道にたくさんのひとだかりができたと言われるほどで、薩摩武士の中にも三線をたしなむ人がいらしたようです。




連絡先:絲竹会・倉原智子研究所

               大阪三線&笛サークル「つぃぶみの会」

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